風のガーデン=エゾエンゴサク [花のある情景]
エゾエンゴサク(12 05 07)北海道七飯町大沼
風のガーデン 第2話 エゾエンゴサク
森の中岳 「(ブツブツと)エゾエンゴサクは、ルイの一番好きな花です。森の中なンかにひっそり咲いています」
「去年はガーデンにも球根をいっぱい植えたンだけど、エゾジカに全部食べられました。けど、ルイは全然平気な顔しています」
「シカが喜んで食べてくれるなら、それはとってもいいことだそうです。おじいちゃんが作ったエゾエンゴサクの花言葉は“妖精たちの秘密の舞踏会”です」
貞三は札幌の大病院の外科部長を勤めていましたが、今は富良野で「赤ひげ先生」と呼ばれる在宅医療を専門とする訪問医を努め、患者とともに死と向き合って戦っている日々を送っています。
娘ルイは英国で学んだイングリッシュガーデン「風のガーデン」で四季折々の花を栽培、息子、岳は精神障害を持ちながら異常なくらいの記憶力と音感に恵まれルイの「風のガーデン」を手伝っています。
そんな中、学会に出席のため札幌に赴いた貞美は自らの体調異変に気づき、富良野の旧友に診断を頼みます。結果は膵臓癌、しかも手術不能のステージ4bでした。
倉本聡作、ドラマ「風のガーデン」は家族の絆、ターミナルケアの問題を含む重いテーマでありながら富良野の美しい四季、それぞれの季節に咲く花の中に展開して行くのです。
「北の国から」、「優しい時間」に次ぐ富良野三部作の最終章です。
貞美「岳君は何をしていたンですか」
岳 「エゾエンゴサクの球根を掘ってました」
貞美「エゾエンゴサク」
岳 「春先に森の中にいっぱい咲く花です。青くて小さなラッパみたいで――ルイが一番大好きな花です」
貞美「――」
岳 「去年もガーデンに植えたンだけど、殆ど鹿に食べられちゃいました。だから来年は鹿が食べきれないほどいっぱい植えようって球根をとってます」・ ・・・・・
貞美「ガブさんにも掘り方を教えてくれますか?」
岳 「どうぞどうぞ!これで、こうやって掘ってみてください。――そんなに深くなく!――も少し浅いとこ!」
今年は季節が一週間ほど遅れていると考え、エゾエンゴサクを目的に5月中旬、函館・大沼公園辺りに行ってきました。
淡いブルーの花は丁度見ごろ道端の土手にも咲いているのです。 白鳥貞三役・緒方拳さんの遺作となった「風のガーデン」に重要な花となったエゾエンゴサクは午前中に降った雨に濡れて大きな水玉を乗せ、可憐な妖精たちが秘密の舞踏会を開いているのでしょう。ルイが踊っています。岳のピアノと貞美のチェロ、曲は「カンパニュラの恋」でしょう。
緒方拳さんの笑顔が浮かびます。
エゾエンゴサク(07 05 16)北海道焼尻島
胡蝶の夢=ホソオチョウ [愛する虫たち]
中国・戦国時代(紀元前三百年ころ)の人、荘周(宗国の思想家)は何時のことだったか夢のうちに、一匹の胡蝶となってひらひらと空を舞って百年の間、美しい花園を心ばかり遊び、自分がもはや荘周であることも忘れた時間を過ごしました。しかし、夢から覚めてみればわずかな時間しか経っていなかったのです。
荘周は「夢の中で自分が胡蝶になったのかそれとも胡蝶が夢で荘周となって花園に遊んだのだろうかその点判然としない境地を彷徨ったようだ」と語りどちらも夢なのだから区別はできないのでしょうと教えています。
夢の物語は他にも「邯鄲の夢」も同じように覚めてみれば一瞬の出来事であったことなど古代中国の逸話は数多くあります。
ホソオチョウは外来種で局地的に発生しているので人為的に持ち込まれ放たれたものと推定されています。しかも食草がウマノスズクサでジャコウアゲハとの競合が心配されています。しかし、この長い尾を優雅にひらひらさせて飛ぶ姿は荘周の春の夢を彷彿とさせてくれます。
ジャコウアゲハと上手く折り合いをつけてくれませんでしょうか?
ホソオチョウ♀(11 04 24)埼玉県所沢市
春の田んぼ=レンゲ [花のある情景]
レンゲ(10 04 19)市川市大野町
レンゲはその根に根粒を作ります。その根粒はバクテリアによって空気中の窒素を取り入れて窒素化合物をつくり土の栄養となっていますこの働きは豆科全体にいえることなのです。しかし、化学肥料が安価に入手できるようになり次第にレンゲを植えている田んぼが少なくなったのです。更に追打ちを掛けたのが田植の機械化でした。手で植えていた時には十分育った苗を植えていたのですが田植機による田植になったため従来より小さい苗を植える田植となり田植の時期が早まってしまいました。レンゲの花咲く時期までまっていては遅いのです。窒素を含む栄養ある根粒も中途半端なのでしょう。
今、レンゲの花が咲いている田んぼは観光が目的の農園となってしまいました。この写真のレンゲの田んぼもレンゲ祭りのイベントを行ったために植えられたレンゲなのです。
窒素は空気中の80%ぐらいあり、極めて安定した気体です。安定しているということは化合物を作ることが難しい気体でした。 しかし、科学技術の発展は空気中の窒素から化合物を作ることに成功しました。
空中窒素固定法という技術です。しかし、それは高い圧力や温度などが必要でした。豆科の植物(寄生しているバクテリア)は それを常温、常圧で作り上げているのです。 20世紀初頭、ドイツで空中窒素と水素を高温、高圧下で化合させアンモニアの製造の工業化に成功しました。その技術を取り入れ日本でもアンモニア製造が始まりました。
N化学も1927年(昭和2)北陸の余剰な電力をもとにアンモニア工場を建設しました。当時の地元住民は空気から窒素を取り出すとのことで空気が薄くなると反対があったと聞いています。 N化学の120年史によると「昭和2年5月4日、一面に咲き誇る紫雲英(レンゲ草)の中で地鎮祭を厳修した」と記しています。一面のレンゲの中でというところに皮肉がこもっているように思えます。レンゲはそんなに費用を掛けなくてもと言っているような気がします。
レンゲ(10 04 19)市川市大野町
亀鳴く=イシガメ、セマルハコガメ、リクガメ [小動物の風景]
イシガメ(09 07 19)岐阜県関が原町
三島由紀夫20代の時の短編小説「中世」に室町幕府、足利義政八代将軍が飼っている大きな亀が「キッキー、キッキー」と鳴く場面があります。『亀はお膝下まで来て双六の盤に掴まった。そうしてそれに凭り、すくっと立った。皺畳んだ頸をのばし公のお顔を仰いでキキ、キキともどかしく鳴いた』 。 亀の鳴くことについては以前何かで読んだことがあるが思い出せない。そんな時偶然にも「英国外交官の見た幕末維新:ABミットフォード著」を読んでいて、突然「英国大使の博物誌:平原毅著 朝日新聞社」に亀の鳴くことが書かれていたことを思い出したのです。その要旨は平原大使が大英博物館長(サー・ディヴィド・ウイルソン)と一夕酒を酌み交わした歓談のおり、聖書には旧約も新約にも亀は現れてこないと話したところ「確か亀のことを聖書で読んだ記憶がある、亀の声が聞こえるといったような表現だった」と語り帰英後、サー・ディヴィド氏からの旧約聖書の「ソロモンの雅歌=The song of Solomon」が送られてきた。
その最終節に「The time of the singing of birds is come, and the voice of turtle is heard in our land.」ソロモンの雅歌の日本訳は「鳥のさえずる時がきた。山鳩の声がわれわれの地に聞こえる」と約されているのです。Turtleを山鳩と約されて、亀は歌っていないのです。 英語のTurtleは亀のことで鳥ではない。鳥ならturtledoveタートルダヴのことで日本名は「コキジバト」のことだそうで、日本のキジバトの英語名は「Eastern Turtle Dove」doveは鳩の総称でpigeonとどう使分けているか私は分からない。
サー・ディヴィド氏がソロモンの雅歌で歌われているTurtleを亀のことと信じている。歌の前後での意味は当然山鳩の声になる筈である。英国には亀はいないのか、Turtleと書けば(聞けば)山鳩を意味することになってしまうのでしょうか。
平原大使はソロモンの雅歌の舞台はイスラエルの乾燥大地、そこには陸亀の生息地で近似種のヘルマン亀とかガラパゴス象亀は繁殖期には鳴くのです。
ならば、沖縄本島のヤマガメ、西表島のセマルハコガメは鳴くのだろうか?何れにしろ俳句にでてくる亀はクサガメかイシガメで鳴かないだろう。最近はアカミミガメという外来種が勢力を伸ばし在来種が圧迫されてピンチに立たされています。公園の池には巨大なアカミミガメが甲羅干しをしてる風景をよく見かけます。
セマルハコガメ(02 08 31)西表島
中段上:イシガメ 中段下:リュウキュウリクガメ(04 09 02)沖縄本島
スギタニルリシジミ [愛する虫たち]
スギタニルリシジミ(12 04 07)相模原市牧野
この林道もスギタニルリシジミが発生することはよく知られているところでその湿ったとことへ2~3頭が吸水に来ていました。この場所で粘ることにしました。しかし、私たちの目的はスギタニではありません。
Iさんから4月7日、相模湖駅9時集合の連絡があったのですが、今年は異常気象で蝶の羽化も遅れるのでは、日高敏隆さんの著書「春の数え方」に小鳥は日長で季節を知り、昆虫は気温の積算で羽化を迎えると教えられていたので今年はまだ早いと思いながらも出なくとも久しぶりの皆さんの自慢話を聞くのも悪くないと総勢10名、集合場所からギフチョウの出るポイントへ急ぎます。例年なら咲いているサクラ、ツツジは咲いておらず、梅、アセビと農家の庭先にカタクリが咲いているだけで春の入口との感があります。
翌4月8日は場所を千葉県市川市の公園に移してツマキチョウを狙います。でも、これも不発、飛んでいるのはスジグロシロチョウばかり、ツマキチョウの好きなショッカサイ、ムラサキケマンなどは例年通り咲いており、同じ時期に羽化するシオヤトンボの羽化も始まっていました。しかし、ツマキチョウは現れませんでした。メンバーの一人が欲しかったウシガエルの写真が撮れたと慰めを言っていましたが、遠い多摩市からウシガエルの写真を撮りにきたはずもなく全く残念な二日続きの敗退となったのです。異常気象だけなのでしょうか。ツマキチョウが少なくなってきたのではとの思いもあるのですが。
帰りに近くの都市公園に寄ってみたのですがシマアジのペアがいたのが救いでした。
バタフライ・エフェクト=ギフチョウ、ホソオチョウ、ルリタテハ、ツマキチョウ [愛する虫たち]
しかし、プリントアウトされた数ヵ月後の予測パターンはそれ以前のものとは似ても似つかぬものでした。千分の一の差が数ヶ月の後の予測に影響することを見出したのです。そよ風が「大異変」を招くことになるのです。
しかし、この理論は新しい学問の始まりでした。「カオス」という理論です。やがてバタフライ効果は「法則」と認定されるようになり、今では「初期値過敏性の法則」として知られ、蝶の羽ばたきが大きな影響力を持ち得ることが証明されたのです。
これからは気象学のことではありませんが世界を変えた人の物語です。
アイオワ州の農場でノーマン・ボーローグという男の子がお父さんからトウモロコシを十分食べることが出来ない人が大勢いることを教わりました。その時ノーマンは世界を変えようと決意し、植物に関する知識を学び、特別な種を開発しました。病気や乾燥に強く収穫量の多い奇跡の小麦とトウモロコシの品種改良に成功しました。そして、1970年にはノーベル平和賞を受賞、20億人の命を救ったとされています。
いや、世界を変えたのはジョージ・ワシントン・カーバーかも知れません。ジョージは植物学者として農業改革を指導し、ピーナッツやサツマイモの品種改良で功績のあった人です。ジョージがアイオワ州立大学の学生の時、ウォレス先生から先生の子供ヘンリーとともに植物の知識や植物を使って人を助ける方法を教わったのです。ヘンリーに植物のことを教えたジョージがいなければ。・・・・・世界を変えたのはジョージだったのです。
いや、世界を変えたのはジョージではなかったのかも知れません。
世界を変えたのはジョージの父だったのかも・・・・・・・・・・・・・・
あなたが、世界を変える力を持っているのです!
以上は「バタフライ・エフェクト世界を変える力」アンディ・アンドルース著からです。
今、昆虫や野鳥が激減しています。温暖化による気候変化、開発による環境劣化、化学物質によるもの、ウイルス説、ストレス説など様々な意見が出されています。夜パトロールしていますが数年前から屋外に置いてある自販機の明かりに寄ってくる虫たちが極端に少なくなっています。
例えば蝶についても繁殖地と思っていたのに全く見られなくなったこと、水性昆虫の激減、野鳥についても特に夏鳥の著しい減少、あるいは野鳥が繁殖しなくなったなど多くの例が挙げられています。
なら、原因は何か一度調べてみようと思い立ったのです。そんなに力はありませんが、最初の蝶の羽ばたき=バタフライ・エフェクトぐらいにならなるのではと先ずは11人の仲間で調査しようとスタートしました。名付けて「バタフライ・ウォチング協会」。昨年末にスターはしましたが本格的に調査にはいるのはこのシーズンからです。
今のところ手探りの状況ですがフイールドに出て資料集めからと思っています。4月に入ってまずギフチョウに会って無事に春を迎えられたか尋ねてみます。
中段上:ホソオチョウ(11 04 13)所沢市 中段下:ルリタテハ=越冬蝶(10 04 13)市川市大町
下段:ツマキチョウ(10 04 13)市川市大町
参考文献
◎カオスー新しい科学をつくる ジェイムス・クリック著 上田睆亮 監修 大貫昌子訳 新潮文庫
◎「バタフライ・エフェクト 世界を変える力」 アンディ・アンドルーズ著 弓場隆訳 京都大学教授 鎌田浩毅解 説発行 デスカバー・トゥエンティワン
帰らぬオオワシ=オオワシ、オジロワシ、イヌワシ [夢見る鳥たち]
オオワシ(12 02 29)北海道根室市風連湖
三陸海岸のほぼ中央にある船越半島その半島の小さな集落に明治20年(1887)、ワシ猟師七兵衛は生まれました。この物語は七兵衛の80年に亘る生涯の物語です。彼は祖父からワシ猟のすべてを学びました。火縄銃の火薬から火縄の作り方、ワシの習性など猟のすべてを教わりました。「ワシでもなんでも、なぐさみや遊びに射つもんでねぇ」と祖父は厳しく繰り返します。
やかてワシもシカもサルも数を減らしていゆきます。ワシは北海道やシベリアの方から渡ってくるものだ、ここで少しばかり射ったて減ることはないと心配を打消してワシを求めて半島を歩きます。疑いも無くウサギやヤマドリなどを捕るワシは害鳥であり、撃って当然と考えて猟を続けるのですが、半島からシカやサルが姿を消し、カワウソも高価な毛皮のため滅んでしまいました。
戦争が終わって、アメリカの占領軍の鳥類の専門家が日本の鳥獣類の激減に驚き保護の徹底と狩猟の規制を日本政府につよく勧告しました。そして、昭和22年、狩猟法が改正されワシタカ類の捕獲は一切禁止され、ヤマネコ、サル、カワウソ、メスジカなどが禁猟となり、狩猟鳥類は46種から21種に、更に猟期の短縮、捕獲数の制限、鳥獣保護区の設置、その監視も強化されたのです。
昭和38年『鳥獣保護及び狩猟に関する法律』が施行されされ、始めて野生の鳥獣を狩猟法で守るのではなく保護法で守ることになったのです。七兵衛はワシ猟の禁止について納得できませんでした。昔から害鳥だといって射ってきた鳥で、広い大陸で繁殖する少しばかり捕っても減ることこともなかろう。野生の鳥や獣は誰のものでもない、海の魚のように捕った人のもの、誰に迷惑をかけるものでもない。そんな考えでワシを求め続けます。しかし、野生動物の狩猟について世間の目は違ってきたことを感じるのです。
やがて、三陸沿岸は陸中海岸国立公園に指定され半島の自然は保護されましたが、今度は観光開発が進み、観光客のための道路ができます。
昭和43年、七兵衛は80歳を過ぎていましたが銃を持てば青年のように血が騒ぐのでした。そんな時に孫がワシの鳴き声を聞くのです。「ワシは一羽では鳴かない」。2羽のオオワシが船越半島の突端の岬にやってきたのです。七兵衛は老眼鏡をかけ山へ向かいます。「いまのうちだ、もう、ワシはこなくなる」。黒い影が空をよぎり広い翼と白い尾が三角のオオワシが旋回しながら降りてきます。七兵衛はそのワシを撃ってしまいます。そして、残った最後のオオワシも撃ち落してしまいました。七兵衛はこの2羽のオオワシを剥製にして残そうと考え山田町の剥製屋へ持ち込みますが周囲の冷たい視線の前に立ちすくむのでした。
著者、遠藤さんは物語中に昭和8年(1933)3月3日の昭和三陸地震に触れて「七兵衛の家は海からの高さが100メートルぐらいあって津波の心配はなかったが、船越湾の被害は40メートルの高さの波が船越湾から山田湾へと通り過ぎ戸数236戸すべてをさらい、人口1300名中助かったのは350名だけだった。明治29年(1869)の明治三陸地震の大津波に次ぐ史上2番目の被害だった。」と記しています。
昨年(2011)の東日本地震についても七兵衛がよく買い物に行った山田町を襲い大きな被害を残しました。その被害は死者・行方不明770人、家屋全半壊(含む一部損壊)=3・363戸(46.7%)と山田町は発表しています。
オジロワシ(12 03 02)北海道阿寒町 中段上:オオワシ若(12 02 29)北海道風連湖
中段下:イヌワシ(10 11 05)滋賀県伊吹山
甚兵衛渡しの風=クロマツ [樹木の物語]
クロマツ(11 03 29)成田市北須賀 水神の森
惣五郎の直訴から二百年の後のこと、嘉永四年、瀬川如皐作が「東山桜荘子」が中村座で上演され空前の人気を博しました。平成二十二年、Bunkamuraで串田和美演出・中村勘三郎・橋之助らによる「佐倉義民傳」が上演されました。覚悟を決めた宗吾と甚兵衛の義心が雪の降る中でドラマティックに見る人の心を打って展開して行きます。
水神の森(11 03 29)成田市北須賀 中段:船橋市(11 03 07)クロマツ
鳥をくわえる猫(ピカソ)=ドバト [夢見る鳥たち]
猫とドバト(12 02 20)船橋市中野木
1936年、スペイン軍によるクーデターによって共和国政府は打倒され、ファシスト体制が樹立、その内戦に左派の人民戦線政府をソビエット連邦が味方し、フランコ軍にはドイツ、イタリアが組するヨーロッパ全域を巻き込んだ地図が出来上がりつつあって、まさに世界大戦の前夜の様相を呈していたのです。
1937年4月26日、ナチス・トイツはフランコに味方したゲルニカの無差別戦略爆撃が行われました。ピカソは激しく抗議し「ゲルニカ」の超大作を一ヶ月という短期間で描き上げ世に問うたのです。その2年後、1939年3月15日早朝、ナチス・ドイツ軍はチェコに侵攻し、夕刻には首都プラハにヒトラーが入城する速攻を果たしました。
「鳥をくわえる猫」はナチの侵攻一ヵ月後に完成しました。
まるで漫画のような顔をした猫、しかし、鋭い歯と巨大な爪で小鳥を切り裂き真っ赤な内臓をくわえ、青空をバックに虎のように巨大に行く道を立ち塞いでいます。巨大な猫はナチス・ドイツ、そして小鳥はヨーロッパで戦争を回避し、平和の継続を願う良心なのでしょうか?
しかし、小鳥は既に内臓を出して命を失っています。
この絵はヒトラーがプラハを占拠したことと無縁ではありません。また、ピカソの祖国、スペインでは右派ファシズムのフランコ軍がマドリードを落とし、スペインの内戦も反乱軍の勝利が決定づけられました。歴史家はこの半年後の1939年9月1日、ドイツ軍のポーランド侵攻を第二次世界大戦の始まりとされていますが、ピカソが描いた「小鳥をくわえる猫」の完成時にはヨーロッパを覆っていた戦争の黒雲は回避できないところまできていたのでしょう。
日本も北京北西の盧溝橋で銃声が発せられ近衛内閣は中国への派兵を決め、泥沼の戦争に入っていったのが1937年でした。世界を戦争の渦の中に陥れた年が1937年なのかも知れません。
2008年秋、国立新美術館で開かれた「ピカソ展」には「鳥をくわえる猫」も出品されていました。「ゲルニカ」ほどの戦争への憤りを感じさせないと思っていたのですが『鳥をくわえている猫』には存在感があり、背景の青空に希望を見出してもそこには立ち塞がっている巨大な猫の存在があったのです。
写真のドバトをくわえている猫は一撃で鳩の首の骨を折ってしまいました。ライオンがシマウマを倒す映像は度々見ますがそれ以上の迫力あるシーンでした。体の大きさではなく猫科の本能が行動させたのでしょう。
同上
【参考文献:ピカソ美術館 戦争と平和 集英社】
ホシガラスの見た海=ホシガラス・オナガ [夢見る鳥たち]
昭和15年(1940) 『野鳥』―7巻2号―に投稿された記事です。
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海岸にホシガラス・・・・胃の中にマツの實・・・・東野 光治12月21日、千葉県船橋方面で、ホシガラスが捕れたことをおしらせいたします。實は、その日その方面に出かけました所、偶然霞網で小鳥を捕ってゐる少年と知り合ひまして聞きますと、その前日、空気銃で変わった鳥を捕ったとのこと。やっと、ゴミタメの中から探し出て見ますと、確かにホシガラスなので多少驚きました。捕った所は、船橋、花輪、谷津の森といふ海岸近くの小高い松林の丘です。5,6発も弾が命中して、やっと落ちて来たそうです。胃中はマツの實で一ぱいでした。ホシガラスが海岸で採集された一例として御報告致します。
当時の船橋―谷津は海岸を京成電車が走り、千葉街道(14号線)は東京方面から船橋の街に入り大神宮の下を通り花輪駅(現在舟橋競馬場駅)を過ぎてから京成電車の踏切を渡って谷津海岸駅(現在の谷津駅)の手前で海岸に出て京成電車と並行していました。
東京から京成電車に乗って来ると初めて海が見えしかも千葉街道一本を隔てて遠浅の海が逆光に中に光って見える風光明媚なポイントだったのでしょう。
ホシガラスの出た地点はその北側の小高い丘の森と思われます。今年に入ってこの丘にある茂呂神社にお参りに行ってきました。茂呂神社の参道は松の疎林がある坂道となって当時の面影を色濃く残しているように思えました。
ホシガラスが飛んでから70年が過ぎています。当時の風景は松の林越しに陽光に煌めく豊穣の海が望めた筈です。そして、戦争もあり、空襲もあり、それよりも激しい開発の大波を受けて70年前の面影を探す方が無理なのでしょう。
でも、この小高い丘も松の疎林も存在するのです。
今、その海は3~4キロ先なのですが距離以上に遠くなってしまいました。やがて、ここに海があったことさえ忘れられてしまうでしょう。
オナガの小さな群れがやって松林の中で飛び回っています。
オナガ(12 01 18)船橋市宮本町








